광고

「檀紀」年号の復活運動

이광열 기자 | 기사입력 2014/09/11 [03:53]

キム・ジュホのコラム

「檀紀」年号の復活運動

キム・ジュホのコラム

이광열 기자 | 입력 : 2014/09/11 [03:53]
西暦を使用するから先進国でもなく、固有の年号を使用するからと言って弱小国でもない


昨年の開天節(建国記念日)を控えて、「檀紀年号の併記使用法制化推進委員会」の会員が、汝矣島(ヨイド)所在の国会の前で檀君(伝説上の建国の王)の服装を着用して、現在、国会の安全行政委員会で審議されている年号に関する法律改正法律案の通過を促す1人デモをしている姿。 ©毎日宗教新聞


アダムから始まるイスラエルの歴史はBC3760年、すなわち今年で5770年になる。ユダヤ暦は、毎年9月から新年が始まる。イスラム圏の地域では、今年(2014年)がヒズラ(イスラム暦) の1435年である。これは創始者であるムハムマドがAD622年、メッカからメディナへ移住した年を起点にヒズラ元年として数えるためである。

日本は、昭和に続き平成年号を使っている。中国は、「民国」という年号で98年となる。歴史を遡れば「軒轅黄帝」が彼らの始祖であるという。司馬遷(BC2)が「史記」において、「黄帝軒轅」(BC2692~ 592)を冒頭に掲載するや否や、彼が中国歴史の始祖であると主張するようになった。
一方、司馬遷より約400年前の孔子が「書典」において、「尭王」を一番最初に掲載してからは、彼を中国歴史の始祖として考えている。中国の国父となった孫文が辛亥革命の時司馬遷の説を受け入れて、「黄帝軒轅」が中国民族の始祖と言ったのが大きく広がるようになった。


しかし、「史記」や「書典」のどこにも、「黄帝や尭王が中国の始祖」であると書いてある箇所は無い。むしろ当時は、「黄帝」より800年前の時代の「太昊 伏羲氏」や「倍達」東夷民族の舞台であったと考えられる。当時の漢族の状勢は、極めて取るに足りない種族に過ぎなかった。「司馬貞」の「司馬遷史記」の巻末付録を見れば、「太昊 伏羲氏」と妻の「女媧」に続く「炎帝神農」から530年後に「黄帝軒轅」が生まれたと伝えている。「歴代神仙通監」、「史記」、「前漢書」には、「炎帝神農」と「黄帝軒轅」は同じく東夷民族の「少典」の子孫であると伝えている。


「有熊国」の王、「啓昆」が夫人の「附寶」を連れて南方の「荊山」に行き、「黄帝」を身ごもって24ケ月ぶりに「軒轅」(河南省)で産んだので、「軒轅」として呼ぶことにした。「黄帝」というのは、彼が土のおかげで王になり、あるいは土の色が黄色であったためだ。「黄帝軒轅」が東夷民族に属していたとしたら、彼を始祖にした華夏系の中国族もやはり東夷系列にならざるを得ないのではないか。中国は「黄帝軒轅」から4701年の歴年を持つのである。私達の民族は、「檀紀」を年号として今年が4342年である。


しかし、「三聖記」、「朝代記」、「檀君世紀」等の過去の文献を総合してみる時、「桓因」の7代3301年、「桓雄」の18代1565年、そして「檀紀」4347年を合わせれば、9213年になる。ところで、「神事記」の「治化紀」篇を見ると、次のような記録がある。「神様がおっしゃることには、『おい! 英哲のお前達よ! 開かれから(開闢してから)既に21,900年にもなったので、人が生まれてから長い時間が経った』「また『渤海』の『文王』が書いた『三一神誥奉蔵記』に、『申し奉るが、古朝鮮期には、366甲子に天帝が天符三印を持って…』」と記録されている。「神事記」の21,900年と366甲子に60をかけた21,960年は、互いに似た年数を現わしている。この21,960年に9,208年を合わせれば、天下開闢以後は31,168年になるが、この歴年は英国の人類学者ウェルズが現生人類(Homo Sapience)の出現時期を約3万年前とした学説とも符合する。


こういった悠久な歴史根源を持った民族であるが、今の状況は「檀紀」年号さえも忘れ去られている。日帝(日本の植民地支配)の圧迫から自主独立を叫んだ「3.1独立宣言文」の終わりの部分に33人の名簿があり、「檀紀4252年」と「檀紀」年号を使った。憲法の前文にも、崇高な「3.1独立精神」を継承すると明示しておいたではないか? 「光復」(植民地からの解放)となって1948年8月15日に大韓民国政府の樹立と共に、「東国通鑑」等の記録を根拠として「檀君」国祖の開国紀年であるBC2333年(戊辰年)を紀元元年として、「檀紀」年号を公式に採択した。これから13年3ケ月を使用した後、5.16軍事クーデター政権によって、1961年12月2日、法律第755号「年号に関する法律」の制定施行によって、1962年1月1日から西暦を使用して「檀紀」年号を事実上廃止した。


西暦を使用するから先進国でもなく、固有の年号を使用するからと言って弱小国でもない。中国や日本を見る時、固有の自分年号を使いながらも、政治経済外交面において力のある国として認められている。国際外交舞台や貿易関係において、むしろ「檀紀」年号を使用する時、私達が伝統ある民族として認定されて、更に信頼を受けることであろう。


軍事政権によって意図的に廃止された「檀紀」年号は、当然に復活させなければならない。「開天節」(建国記念日)を契機に、社会団体において「檀紀」年号復活運動が盛んに行われている。民族正気の回復と自負心の高揚の次元から考慮しても、「檀紀」年号が至急に復元されることは当然である。
  • 도배방지 이미지

많이 본 기사
모바일 상단 구글 배너